錯覚が横行 ミッドとツィーターの距離

 

車載では遠ざけているミッドとツィーターが、店頭のディスプレイでは遠ざけてない不思議。

売る為に、良く聴こえるように、音が同じ軸で飛ぶように近付けているんです。

 

比較可能なディスプレイ等で実験。

二桁万円の高級ユニットでも、距離を取って取り付けたならば、1万円のコアキシャルよりも聴けません。

これ、実験すると面白いです。 

 

 

音像を上げる為にツイーターを高い位置へ付ける必要のある車は、取り付けを見直す必要がある車です。

ミッドが鳴っていない証拠ですから。

 

 

時間軸の話は手短に済ませます。

高音は速い。

低音は遅い。

だから高音のユニットは低音のユニットより遠く置くことが好ましい。

先に高音が来てしまうと、音量関係なくうるさく感じてしまいます

 

 

ここから本題。

コアキシャルや、ユニット同士が近くにあるセパレートは、音が出た時点で音楽です。

出た低音と高音は、同じ方向に共に飛んでいきます

しかし、ユニット同士が離れている場合、低音から高音が共に飛ぶことは有り得ませんので、出ている音は音楽ではない。

 

 

「繋がっている」の錯覚。

ユニットが離れていても、どこかしらで音と音が交わります。その交差点を、ツィーターの向きを変える事で耳、頭周辺に持っていくことをツィーターのセッティングにしているのだとは思います。

確かにその交差点は、低音から高音迄が共存してますので、そこで繋がっていると感じてしまう。

しかし、違う場所から出た音は、その交差点を過ぎた時、また高音として、低音として孤立します。つまり、交わるだけで融合する事はないんです。

 

出所が同じならば、音はずっと共存します。フルレンジやコアキシャルスピーカーは、どこのシートで聴いても音が繋がっている。は、そういう事です。

 

オーケストラが、会場のあちこちに散らばり、センターに向けて演奏をしても…

聴けたもんではありません。

共に前方でこちらに向けて演奏してくれるので、あの迫力になるのです。

 

多方向から音を飛ばすサラウンドスピーカーでさえ、各スピーカーは各帯域を分離はしてません。